P--543 P--544 P--545 #1入出二門偈    入出二門偈頌                             愚禿親鸞作 【1】 世親菩薩(天親)は、大乗修多羅の真実功徳によりて、 一心に尽十方不可思議光如来に帰命せしめたまへり。 無碍の光明は大慈悲なり。この光明はすなはち諸仏の智なり。 かの世界を観ずるに辺際なし、究竟せること広大にして虚空のごとし。 五つには仏法不思議なり。このなかの仏土不思議に、 二種の不思議力まします、これは安楽の至徳を示すなり。 一つには業力、いはく法蔵の大願業力に成就せられたり。 二つには正覚の阿弥陀法王の善力に摂持せられたり。 女人・根欠・二乗の種、安楽浄刹に永く生ぜず。 如来浄華のもろもろの聖衆は、法蔵正覚の華より化生す。 諸機は本すなはち三三の品なれども、いまは一二の殊異なし。 P--546 同一に念仏して別の道なければなり、なほ&M017616;&M018378;の一味なるがごとくなり。 かの如来の本願力を観ずるに、凡愚、遇うて空しく過ぐるものなし。 一心専念すれば、すみやかに真実功徳の大宝海を満足せしむ。 菩薩は五種の門に入出して、自利利他の行成就したまへり。 不可思議兆載劫に、漸次に五種の門を成就したまへり。 なんらをか名づけて五念門とすると。礼と讃と作願と観察と回となり。 いかんが礼拝する、身業に礼したまひき。阿弥陀仏正遍知の、 もろもろの群生を善巧方便して、安楽国に生ぜん意をなさしめたまふゆゑな り。 すなはちこれを入第一門と名づく、またこれを名づけて近門に入るとす。 いかんが讃嘆する、口業に讃じたまひき。名義に随順して仏名を称せしめ、 如来の光明智相によりて、実のごとく修し相応せんと欲ふゆゑなり。 すなはちこれ無碍光如来の、摂取選択の本願なるがゆゑなり。 これを名づけて入第二門とす。すなはち大会衆の数に入ることを獲るなり。 いかんが作願する、心につねに願じたまひき。一心専念してかしこに生れんと P--547 願ぜしむ。 蓮華蔵世界に入ることを得て、実のごとく奢摩他を修せんと欲はしむ。 これを名づけて入第三門とす。またこれを名づけて宅門に入るとす。 いかんが観察する、智慧をして観ぜしめたまひき。正念にかしこを観じて、実 のごとく、 毘婆舎那を修行せしめんと欲ふがゆゑに。かの所に到ることを得れば、すなは ち、 種々無量の法味の楽を受用せしむ。すなはちこれを入第四門と名づく。 またこれを名づけて屋門に入るとす。菩薩の修行成就とは、 四種は入の功徳を成就したまへり、自利の行を成就したまへりと、知るべし。 第五は出の功徳を成就したまへり。菩薩の出第五門は、 いかんが回向する、心に作願したまひき。苦悩の一切衆を捨てずして、 回向を首めとして、大悲心を成就することを得たまへるがゆゑに、功徳を施し たまふなり。 かの土に生れをはりて、すみやかに疾く奢摩他・毘婆舎那、 P--548 巧方便力成就することを得をはりて、生死の園・煩悩の林に入りて、 応化身を示し、神通に遊ぶ、教化地に至りて群生を利せしむ。 すなはちこれを出第五門と名づく、園林遊戯地門に入るなり。 本願力の回向をもつてのゆゑに、利他の行成就したまへりと、知るべし。 無碍光仏、因地のとき、この弘誓を発し、この願を建てたまふ。 菩薩すでに智慧心を成じ、方便心・無障心を成じ、 妙楽勝真心を成就して、すみやかに無上道を成就することを得たまへるな り。 自利と利他との功徳を成ずる、すなはちこれを名づけて入出門とすとのたま へり。 【2】 婆藪槃頭菩薩(天親)の『論』(浄土論)、本師曇鸞和尚註したまへり。 願力成就を五念と名づく、仏をしていはばよろしく利他といふべし。 衆生をしていはば他利といふべし。まさに知るべし、いままさに仏力を談ぜん とす。 如実修行相応といふは、名義と光明と随順するなり。 P--549 この信心をもつて一心と名づく。煩悩成就せる凡夫人、 煩悩を断ぜずして涅槃を得、すなはちこれ安楽自然の徳なり。 淤泥華といふは、『経』(維摩経)に説いてのたまはく、高原の陸地には蓮を生 ぜず。 卑湿の淤泥に蓮華を生ずと。これは凡夫、煩悩の泥のうちにありて、 仏の正覚の華を生ずるに喩ふるなり。これは如来の本弘誓 不可思議力を示す。すなはちこれ入出二門を他力と名づくとのたまへり。 【3】 道綽和尚、解釈していはく、『月蔵経』にのたまはく、わが末法に、 行を起し道を修せんに一切の衆、いまだ一人も獲得するものあらじと。 ここにありて心を起し行を立つるは、すなはちこれ聖道なり、自力と名づく。 当今は末法、これ五濁なり、ただ浄土のみありて通入すべしと。 今の時、悪を起し衆罪を造る、恒常なること暴風駛雨のごとし。 本弘誓願に名を称せしむるは、これ穢濁悪の衆生のためなり。 これをもつて諸仏、浄土を勧めたまへり。たとひ一生悪業を造れども、 三信相応すればこれ一心なり、一心は淳心なれば如実と名づく。 P--550 もし生ぜずは、この処なけん。かならず安楽国に往生を得れば、 生死すなはちこれ大涅槃、すなはち易行道なり、他力と名づくと。 【4】 善導和尚、義解していはく、念仏成仏する、これ真宗なり。 すなはちこれを名づけて一乗海とす、すなはちこれをまた菩提蔵と名づく。 すなはちこれ円教のなかの円教なり、すなはちこれ頓教のなかの頓教なり。 真宗に遇ひがたし、信を得ること難し、難のなかの難、これに過ぎたるはな し。 釈迦・諸仏、これ真実慈悲の父母なり。種々善巧方便をもつて、われらが無上 の真実信を発起せしめたまふ。 煩悩を具足せる凡夫人、仏願力によりて信を獲得す。 この人はすなはち凡数の摂にあらず、これは人中の分陀利華なり。 この信は最勝希有人なり、この信は妙好上上人なり。 安楽土に到れば、かならず自然に、すなはち法性の常楽を証せしむとのたまへ り。 P--551 入出二門偈頌         七十四行                          愚禿釈親鸞作 P--552